無窮洞(むきゅうどう)子供が掘った防空壕~柴犬と長崎へ【番外編②】~

こんにちは。たんさんです。

今日は11月4日(土)。AM6:00現在の軽井沢の天気は曇り、気温は5℃。日中は雨の予報です。

今回は、柴犬と船で行く九州長崎の旅【番外編、長崎観光②】をお送りしたいと思います。

戦時下の時代背景を感じることの出来る歴史的文化財です。

無窮洞

『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦中の1943年、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。

防空壕の中は、メインの空間が幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさがあります。

防空壕の中へ避難中でも、授業や生活ができるように、教壇を備えた教室をはじめ、トイレ、炊事場(但し建設中で終戦により未完)、食料倉庫、天皇の写真を奉ずる御真影部屋が設けてあり、戦時下の時代背景をうかがい知ることが出来ます。

工事は昭和18年8月から、終戦の昭和20年8月15日まで続けられ、建設当時の4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げた!!!といわれています。

その中は・・・・

さて実際に中に入ってみます。

「防空壕」「手掘り」という言葉から、洞穴のような『ともかく掘った』というものを想像していましたが、こちらの完成度には驚きます。

みごとなアーチ型の天井、そして教壇とその後ろの柱飾りなどは、まるで「地下神殿」のようです!!

その他にも、明かり棚や、水飲み場が設えてあったりします。

さらには、陛下の写真を置く「御真影部屋」が別室で用意されています。

換気設備

さらにこちらは山の上へ続く避難道。

同時に換気の役割も果たしています。

当初、大勢が入ったときに酸欠状態となったため、こちらの避難道を掘り、農機具を流用して入口から空気を取り入れた空気を避難道から排出するようにしていたそうです。

あらためて

当時の苦労を知るとともに、平和への祈りを新たにしたのでした。

紹介動画

↓↓↓こちらは「佐世保市チャンネル」での『無窮洞』紹介動画